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墨岡通信

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2013年04月10日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-94-

このとき、例えば詩人であるか否か、という問いかけのみじめさは、ほとんど絶望的でさえあるだろう。
詩的表現のもつ≪やさしさ≫の強度の凝縮は石原吉郎の最近の作品「懲罰論」にみることができるのだろう。石原吉郎と詩の流通機構の問題は、私の中にまだ追究すべきものとして雑多に含みこまれているものであって、その意味で私にとって石原吉郎は正確には、未完の≪やさしさ≫と言わねばならない。

懲罰は われらに
固有なものではない
あきらかに 理由が
われらへなだれるときも
懲罰はすべての
首すじへかかわるのだ
たとえば
懲罰の理由として きみは
ドアをひらく
どのような手つづきで
開かれるにせよ ドアは
すべての人のためにある
たとえば きみは
一つの空席を示す
だがひとつの空席が
すべての理由をみたすことは
けっしてないのだ
ありあまる理由があって
われらはあふれて終り
しずかに堤防を
ひたしはじめるならば
懲罰は もはや
われらに固有なものではない
(Ⅱ表現論/流通機構論ノート つづく・・・)

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