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墨岡通信

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2013年05月12日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-96-

言葉・言葉・根拠

いま私の手もとには三木卓の最近の詩集『子宮』がある。いまここで三木卓のことについて触れるのは、ほとんど私の思いつきである。

三木卓にとっての表現の由来というものを私が考えるとき、それは同時に私の詩の由来を明らかにすることである。私は三木卓の詩をそのようなものとして読むしかない。

詩の困難な時代に、詩の一つの確実なありかたは、詩そのものが固定したイメージをもち得ないことである。幾重にも幾重にも拡散した意識の変転を、状況として読者の意識へと提示することである。詩は、そのような状況=内=意識を対象として成立する。

いま、詩が生きのこることが出来るかどうかということは、(流通の問題とは、またはるかにへだたったところで)詩がいかにこの意味で、内部にくいこむエネルギーに満ちているかによっているといってもよいのだと私は思う。

ところで、三木卓の詩は生きのこることができるのか。

都市の地平はひろがり
夕焼け雲づたいに ゆっくりと
死者を積んだ荷車を挽いて 馬は進む
おれは 暗いテーブルにつき
塩を塗った肉と玉葱の輪切りを食う
惨劇があり 日は堕ち 一つの時代は終る
おれたちは癒されない 巨大な 
鋏の刃のあいだで まどろむだけだ
古い舞曲のオルゴールが鳴り
こどもたちは光り輝く しかし
めぐり来る夏の終りには だれも
口を噤んで衰えていくものを みつめているのだ
都市に白い霧がわきあがる
おれたちは 酒を飲み はなむぐりをからかい
痛みについて 少しだけ考えてから
真紅の焰につつまれて 闇に陥ちていく
そして 一杯の水のために目覚める 夜半
盲いた馬が かたむいているのを見る
                  (「馬」)

詩集『子宮』は、一九六九年後半から一九七二年の間に書かれたという。

私にとって、この時代はまったく偶然ではなく、激しい寓意に満ちた時代であった。何事も、私の緘黙とか私の生き方とかも、正確に一九六九年から一九七二年という時期を無視して語ることはできないでいる。
(Ⅱ表現論/言葉・言葉・根拠 つづく・・・)

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