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2014年05月26日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-109
「赤い鳥逃げた」=藤田敏八
一九七三年五月二日、藤田敏八の構成による「梶芽衣子新宿アウトロウショー」が公開された。梶芽衣子といえば映画「さそり」について触れなければならない訳だが、それはあとまわしにすることにして、この「梶芽衣子アウトロウショー」は藤田敏八の表現における徹底した仮借なさを舞台の上に持込んだものとして、私には興味深いものがあった。
梶芽衣子が「網走番外地」を歌い、三上寛が「さすらい」を唄うとき、そこはもうかつての日本映画の熱っぽい高揚ではなくて、まるで異った位相の提供であって、感傷と郷愁と明らかな意志機構の場だけが深く深く進行していくように思われるのだ。
映画青年といわれた者達が、必死になって中島貞夫の「網走番外地」や「893愚連隊」を追いもとめていたとき、確かに私達は映画に対する認識に一つの誤りがあった。それは映画表現を企図された象徴としてのみ取扱い、映画のもつダイナミクスをいかにも些細な偶像のなかに閉じ込めてしまったことである。藤田敏八について語るときまず日活ロマン・ポルノについて論じるという野暮は持ちあわせていないが、極端に言えば、このダイナミクスという点については日活ロマン・ポルノのいくつかは正しく時代を先取りしていたのだ。
そしていま、梶芽衣子の「怨み節」。
花よき麗と おだてられ
咲いてみせれば すぐ散らされる
馬鹿な バカな
馬鹿な女の 怨み節
死んで花実が 咲くじゃなし
怨み一筋 生きて行く
女 おんな
女いのちの 怨み節
(Ⅲ映画論/「赤い鳥逃げた」=藤田敏八 つづく…)