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墨岡通信

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2014年09月13日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-113

かつて、70年を数年後にひかえた当時、私の友人はいつも口ずさんでいたものだ。

≪日本映画とやるときにゃ ホイ
命かけかけせにゃならぬ ホイホイ≫

黒木和雄の「新宿で女をつくろう」は、主体性の確立という困難な命題をかかげながらその作品を次のようにしめくくった。
  土工と穴の中で抱きあいながら
土工「新宿でも穴を掘れるぜ」
ノコ「………」
土工「新宿で穴を掘ったら?」
ノコ「そうね」
土工「おれも、新宿で女を作るから」
ノコ「え?」
土工「新宿であんたとね」
ノコ「ああ、一緒に住むのはいやだけど、一緒に住まなくても……」
土工「どこでも会えるさ、こうやってね。」
ノコ「(うなづいて)一緒に住まなくても暮らして行けるわね。」
土工「おれ、いろんなところ渡り歩いてきたけど、やっと新宿でねえ……新宿で女を作れるようになったぜ!見通しゃ明るいや!」

いま「赤い鳥逃げた」の主人公達の掘った穴は、このような予感からは生まれるべくもない呪縛にがんじがらめにされている。生きるということが単に、青春の仮借なさを借りて語られている訳ではないのだ。
(Ⅲ映画論/「赤い鳥逃げた」=藤田敏八 つづく…)

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