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墨岡通信

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2015年02月06日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-117

私が「旅の重さ」に触れ、世代の被表現性について思うとき、私の内部でいまだに風化しないでいるはずのこうした<行為>があとからあとから浮んでくる。それはいつも、息苦しい状況の壁に激しくぶつかり、いたずらに滅んでいくようにみえながら、その奥にきわめて重い真実を含んでいたのだ。

映画での少女の軌跡は、物語としていかにも単純なのだが、そのくわえこんだ内実というのは豊かなイメージと、この高橋洋子という新人のさわやかな肉体とにささえられて、観念を越えたところで切実な内容を描くことになった。かつて、私にとっての“青春映画”は大島渚の「日本春歌考」であり、黒木和雄の「とべない沈黙」であり、浦山桐郎の「私の棄てた女」であったのだが、いま、これらの映画の一種さえ、いかにもディレッタント的だと感じるのは何故なのだろうか。ここ数年の間に、何がおこったのだろうか。

黒木和雄の幻の名画「新宿で女をつくろう」について、シナリオの作者達は数年前にこう書いている。

 「かつて地方からあこがれ東京に出てきた私達は、今では小説や芝居や映画をつくろうとしているわけですが、新宿という街はそのような私達と共にあります。新宿は失われた時を求めるに充分なカスバであり、その路上は過去への遡行であると、見えながら実は鮮血にいろどられた未来を準備するものであります。私達が新宿で女をつくることの大切さは、もう言うには及ばないことであります。」(内田栄一、清水邦夫、黒木和雄)

しかしこのいかにも未開の青春映画の中では、新宿で女をつくること=新宿という状況の中で主体性を確立することは遂に、突きあげてくる激しい情動を開花させることにはならなかったと言っていいだろう。新宿で主体性を確立するという実にカッコイイ図式に半ば酔いしれているとき、確実に新宿は風化し、背後にある黒い闇によって占拠されていった。いま新宿について語るとき、私は新宿を占拠された場所としか言いようがないのだ。

だから旅に出る、ということではない。またひとつ忘れられていく表現の過去を横切って、旅に出るということではない。居残って、居直って苦しく暮していく者もいるのだ。だが、私も旅に出たい。
(Ⅲ映画論/映画「旅の重さ」をめぐって つづく…)

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