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墨岡通信

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2015年03月01日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-118

「旅の重さ」の少女は、四国遍路の旅に出ていく。どこかの巨大資本のように、日本発見が目的ではない。過去からの人間の悲しみの重積であり、旅がじかに“表現”であるはずの、四国へ。

この少女の心の振子は、激しい振動を持ちながら、ぎりぎりまでせん細な糸によって営まれている。糸が切れるまでに、なんとか自分の生存していける“場所”を見出さねばならない。むこうからやってくる“場所”は簡単でも、こちらから、内側から求めていく“場所”は困難である。

斉藤耕一はなかば恥じらいながら、居直っているのだと思う。四国の自然を追うカメラの動作の中にそれがにじみ出ている。そして、こうした風景の中に、この肉体だけはきわめて健康でありながら、どこか決定的に場ちがいな感覚を持った一人の少女を、ポンと放り出してみる。それが演出というものだろう。

日本映画の新しい世代は、その表現における仮借ない論理性であり、豊かな感受性に裏付けられた鋭利な眼である。


日活ロマン・ポルノの周辺

映画についての表現論を続けたいと思う。

私は例えばかつての日活ロマン・ポルノを映像のダイナミクスの内にとらえるべきものであって、個々の作品論として批評することは出来ないと考えていた。

(Ⅲ映画論/日活ロマン・ポルノの周辺 つづく…)

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