ホーム >> 墨岡通信

墨岡通信

成城墨岡クリニック分院によるブログ形式の情報ページです。

2015年09月11日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-123

「人生劇場」そして「夏の妹」へ

私達の表現を巡る確かな一方法としての映画を考えるとき、私達は表現の現場と言うべきものを狩り出そうとする。加藤泰と大島渚の最近の仕事である「人生劇場」と「夏の妹」に接して、私はまたも、表現の現場の重苦しい声を聞くような気がした。

加藤泰だけでなく、私自身も内田吐夢の「人生劇場」、とりわけ「飛車角と吉良常」を見たときの感動を今でも忘れていない。それは一九六八年のことで、当時私達は映画表現へのさまざまな人間的欲求が、ほとんど直截的に映像そのものへと結びついていくことを信じて疑わなかった。否、六〇年以降詩を含む多くの表現が硬い沈黙の中で現実そのものによって糾問されていた厳しい季節に、映画表現だけはまだ、したたかに豊かであった。

例えばこの六八年、大島渚は「絞死刑」を作り、今村昌平は「神々の深き欲望」を、羽仁進は「初恋・地獄篇」を、山田洋二は「吹けばとぶよな男だが」をそれぞれ作っていた。

六七年の羽田闘争以後、政治的にも表現の形態としても質的な変化をとげようとしていた私達の文化ともいうべきものが、その流通機構を打ち砕くであろう予感に、単純に興奮しつつ私は「飛車角と吉良常」を見ていたに相違ない。祐天寺にあった場末の映画館で、春の大雪のあった日で、ひどく寒く、私と妻の他には三、四人ほどしか客はいなかった。

(Ⅲ映画論/「人生劇場」そして「夏の妹」へ つづく…)

新しい記事を読む 過去の記事を読む

ページのトップへ