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2015年10月15日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-125

六八年から現在までに至る僅かな間に映画表現が突きあたらなければならなかった巨大な壁は、状況と文化をめぐる新しい地平の勃興とその没落と無関係であり得ない。それは極めて精神的・政治的・人間的な暗礁であって単なる風俗の課題ではなかった。加藤泰の変遷の行処を私は厳しく見続けるだろうが、一方この表現にとって苦渋に満ちた状況にあってなおかつ表現を追求することを止めない多くの人々にとって「夏の妹」の大島渚の動向は実に象徴的である。

前作「儀式」で大島渚は彼にとって大きな意識の変革を定着させた。おそらくそれは大島渚の内面で形をとりつつあった表現への不安と状況の不毛との接点に脆く築きあげられた壮大な観念図絵であった。「儀式」での大島渚は、この時代の困難な状況を背負いながら、その状況そのものの困難さの故に結局は自分をのみだめにしていくという、宿命的な悪循環の側に足を踏み込んでしまったと言えるだろう。そして、まさにその根拠から、状況を自己主体そのものを崩壊させていく形でひたすら耐えることによって、闘いを持続させていくことを選んだのだ。だからこそ、カール・メニンジャー流に大島渚は、「 人なみはずれて大酒をのむのも、結局は緩慢な自殺をはかってるのと同じかもしれない。」と語ったりしたのだ。
(Ⅲ映画論/「人生劇場」そして「夏の妹」へ つづく…)

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