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2016年07月10日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-138
ⅲ
私はいま、一枚のレコードを聞きながら、さまざまに想いを馳せている。深夜。
レコードは、チック・コリアの「リターン・トウ・フォーエバー」である。
このレコードを私は一人の女性から贈られた。Fさん、21才。ある大手の銀行に勤める調理師である。
私と彼女との出会いについては後述するが、私は三ヶ月以上の間、一人の精神科医として個人的に“精神療法”という形で彼女と接してきた。彼女の内部の世界、心のほんの些細な一片と私は対話してきた。
私にとって“精神療法”とは一体何かという問いかけと、その問いかけを行おうとする私の立場とが、まさに粉々に崩れかけてしまっている現在、学問とか医療とかを包含してなおかつ私と彼女との結びつきの意味を考えざるを得ないのだ。
私は精神医学という医学の一分野のなかでは、その疾患の如何によらず、治療という概念を第一義的にかかげたくないという逆説を主張する者の一人である。疾患対治療者という限定された図式の内に半ば権力的に安置されてしまう構図はもちろん、個人の内的世界を抽象して取り扱うことにも私は批判的である。
再び世代論に及ぶ訳ではないけれども、私達の世代が経てきた状況の網のなかで、私はやはり私自身の生き方を厳しく限定せざるを得ないことを感じている。たとえ、表層的にどれほど日常的勤勉に、権力的立場に処遇していても、現在は“冬の季節”であるという事実がまず前提として扱われなければならないのだ。
(Ⅳ私的表現考/表現の現象学 つづく・・・)