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2018年02月01日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-154
それでは、視点を180度転換して、状況の側から意識へと接近することはどうなのか。
こうした接近をテーマにある程度の論理を展開させたのがエリクソンである。
私が、この表現論のなかで何度も述べたようにエリクソンの“アイデンティティ・クライシス”の問題Identity diffusion Syndrom“自我拡散症候群”の呈示はかなりみごとに状況と自我との要点を描き出していた。エリクソン自身も、既に主観と客観は社会変動そのものに目をむければ問題にならないものとして止揚されたと考えていた。
「かつての精神分析療法の治療目標そのものが、エスの可動性 the mobility of the id 超自我の寛容力 the tolerance of the superego、自我の総合力 the synthesizing power of the ego の、同時的な増進と、定義さ れたことがあった。そしてわれわれは、この最後のところ、つまり自我の総合力に、各個人の子ども時代の環境を支配した歴史変動と関連した各個人の自我同一性を含むべきであるという提案をつけ加えたい。なぜならば、各個人の神経症の克服は、彼を今のような彼にした歴史的必然を受け入れるところから始まるのである。各個人が自己自身の自我同一性との同一化を選択することができる時、そしてまた与えられたものをなさねばならないことへの転換することができる時、人間は自由を体験するからである」
(「自我の強さと社会病理学」)
(Ⅳ私的表現考/表現の現象学 つづく・・・)