成城墨岡クリニック分院によるブログ形式の情報ページです。
2018年06月28日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-160
みずから、精神病院のなかに体育助手として入り込むことによって患者達と生活をともにし、精神病院の社会学的研究を行おうとしたE.Goftmanは、その著作“Asylums”のなかで次のように語っている。
「精神病院が精神科治療であるという精神医学の素朴な見方からは、精神病院がどんな所で、またその中で何が起こっているのかを見極めることはできない」
「特に重要なことは、重要な他者によってある体験が<症候>として規定されるということである。それらの他者は、そのふるまいが手に負えず、攻撃的であると体験し始めた時、それを精神疾患の症候であると規定し始める」
「(症候とは)公的秩序と考えられているもの(特に人々の対面的な相互行為を支配している秩序)に対する違背のことである」
Goftmanは精神病院の社会学的分析を通じて、Total Institutionという概念を導き出している。それは、
「同じような境遇の多くの人々が、しばらくの間、外部の社会から切り離され閉じ込められて、厳格に管理された生活を共に送って行くような居住と仕事の場所」と表現されている。また、次のようにも述べられる。
「Total Institutionとは他者を貶めることによって自分自身をも、そして人類全体をも貶めるような社会関係の極端な形に他ならない」
Goftmanの“Asylums”については雑誌『精神医療』(岩崎学術出版)の最近号で、やはり社会学から精神衛生学に踏みこんだ宮本真巳がくわしく述べているので、参考にされたい。
私達が簡単に人間の言語表現から、心的現象の、現象学的記述を引き出し得ると考えた時代は既に終りを告げているのである。私達はすべての症候論からのがれて、その人間の状況そのもののなかに現象学の方法論を拡大させていかねばならないのである。
私達の作業が、単に反精神医学とか、反精神病院といった、今では使い古され、幾重にも歪曲された運動に収束するのではなく、真に自由な表現論を手にするまでの原理的な基盤となり得ないだろうかと、私達は常に願っているのである。
(Ⅳ私的表現考/世界の病むこと つづく…)