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2018年08月24日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の平地を透視するものへ-162

現在、いくつかの精神病院のなかで、政治的運動ではなく、人間学的な運動として<世界の病むこと>を把握しようとする試みは、多くの場所でさまざまな困難につきあたっている。精神医学、精神病院のかかえ持つ過去の巨大な蓄積の前に私達の力は、まだ微力である。しかし、私達は、一歩一歩自分自身の生き方に正直に(非権力的に!)行為していくしかないのである。

一九七五年の日本精神神経学会に出席した反精神医学の代表的論者であるD・クーパーは、その演題「精神分裂症とは何か」のなかで端的に次のように語っていた。

「分裂症的な端緒場面の意味を理解するのに必要なのは、何か新しい種類の方法ではなく、新しいこころなのです。」

私はいま、実に簡単に政治的運動ではなく、人間学的な運動を、と述べたのであるけれども、現在の精神医療をめぐる激しい流れのなかでこの二つの過程はそのなかに個々人の厳しい苦悩を含みながらいまもなおすさまじく進行中の出来事を意味するのである。

反精神医学を、現象学的、人間学的精神医学の一里塚と見なすのか、それともラディカル・サイコロジーの出発点として把握するのかということをめぐっても私達の評価は不幸にも一致し得ないのである。

(Ⅳ私的表現考/世界の病むこと つづく…)

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