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2018年09月11日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の平地を透視するものへ-163
例えば、イタリアの精神科医Franco Basaglia は彼のGorziaに於ける病院体験から、その悲劇的現実を目の前にして精神病院と、その病院の存在を許している社会経済的諸問題、そして精神医学そのものに対する批判を展開していった訳だが、彼は「精神病とは社会から人間的諸権利を剥奪されるところに産まれる病である。」と規定し、その故に社会的<状況>を変化させない限り何者も精神病を理解することは出来ないと認識した。そして、つねに患者に対して政治的な認識を高める努力をすることが最も必要であると考えるようになる。F・Basagliaは次のように述べる。
「暴力とは、力を持たないものに対してナイフを持っているという特権そのもののことである。」
「現在では精神科医は疎外された者の目を社会からそむけさせるための安全弁である。」
「従って精神科治療とは、暴力でのものの管理でもなく、疎外されてある者をだまらせるための方法でもない。」
「治療とは政治的な行為である。」(“Therapy is a political act.”)
このような立場から、F・Basagliaは単純な精神病院改革論者を批判し、さらには方法的に人間学的な改革論者をも批判したのであった。例えば、イギリスに於ける精神病院改革の旗手であったMaxwell Jonesを批判し後者に対しては、「愛では不充分である。」(Love is not enough“)という一語をもって批判にかえたのであった。
(Ⅳ私的表現考/世界の病むこと つづく…)