成城墨岡クリニック分院によるブログ形式の情報ページです。
2019年01月15日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-168
この精神病院のなかに(それが閉鎖病棟であれ、開放病棟であれ、作業病棟であれ)、二十年以上、あるいは十数年間も入院させられ、そしてそれ故に退院の見とおしもたてられない精神障害者の存在は、私たちにとってきわめて重い意味を持っているのである。
私達は、病院の機能上だけでなく疾患(多くは精神分裂症と名付けられた)の症候論においても次のような視点を措定しなければならないことを感じている。
<分裂症>を発病してまもない人間に対する<治療>および<医療>の問題と、これら病院に沈殿し、退院することのできない人間に関する治療とは、まったく別のものとして把握されなければならない。そればかりでなく、このような<分裂症>を病んでいる二つの側面の人間の生き方、そして<分裂病>そのもののプロセスも、まったく別のものとして理解されなければならない。
沈殿していかざるを得ない精神障害者は、過去の精神医学と、精神医療が意識的・無意識的に行ってきた<治療>の巨大な非人間的遺物だと私は考える。私達は二度と、同じ誤りをくり返してはならないのだと、肝に銘じておかなければならない。
そのために、現実に<分裂病>を発病したばかりの人間に対して、私達は絶対的に(!)積極的な対人的・対社会的な働きかけを行っていこうとしているのである。
(Ⅳ私的表現考/世界の病むこと つづく…)