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2021年04月02日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-182
「息苦しい壁」というものを、吉本隆明がどのように解釈しているのかはかなり明白だが、ここには疾患のアウトラインのみがあって個的な人間にかかわりあう<心的現象>は何ひとつ存在しない。吉本隆明は<心的現象>という名辞によって、確実に差別されてきた人々の<人間>をとらえていない。そもそも患者=人間の存在しない精神医学も、精神病理学も、精神病院も、精神衛生法もあり得はしないのだ。私たちは単なる認識論、とりわけ精神病理学のみから<心的現象>をとらえることの危険性を胆に銘じておかなければならない。総じて精神医学は、現在非常に困難な状態に直面している訳だが、そこで問い直されなければならないのは<人間>そのものであり、その人間の<表現行為>の深層である。
吉本隆明の論拠が多くの精神病理学書、精神分析に関する書物等々から成り立っているとき、それらを感情の乱れもみせずに引用している吉本隆明の位相を私は疑わざるを得ないのだ。私たちは、私達自身の問題提起なしにブロイラーやクレペリンにたちもどることは許されないのである。
一人の“精神障害者”が存在するだけでまきおこる家族関係の、隣人との、地域社会との、医療との、法律と権力との、そして人間生活おしなべてのすさまじい状況の嵐は一体何なのだろうか。私たちはこのことに触れなければ、<心的現象>について何も語れないのではないだろうか。
(Ⅴ状況のなかの精神医学/詩と反精神医学と つづく…)