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2022年11月29日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-199
私はいつも、レインの表現に接する時、二人の人間のことを考える。その一人は、松下昇のことであり、もう一人はフランツ・ファノンである。かつての、神戸大闘争の中での松下昇の表現のことを私はまだ忘れないでいる。フランツ・ファノンについての私的解釈は、折に触れて、雑誌『詩学』に連載中の「私的表現考」に書きつづり、またこれからも書き続けていくつもりである。
レインは語っている。
「詩とよばれるものは、おそらくコミュニケーション、発明、受胎、発見、生産、創造等の合成されたものでしょう。あらゆる意図や動機の競合を通して一つの奇跡が生じたのです。太陽の下に新しきものあり、というわけです。存在が非存在から湧出したのです。まるで泉が岩からわき出るように。」(『経験の政治学』)
これから、私達の行うべき作業は厳しい状況の壁に囲まれて、暗く展望がないもののようである。だが、私達は一生涯かけて作業をやり抜かなければならない。激しい愛情を持って、そのあとは、私達が生み、育てた、次の世代がその作業を引き継いでくれるだろう。
(Ⅴ状況のなかの精神医学/何故、今、レインなのか? 終)