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墨岡通信

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2024年11月07日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ -6-

「それは同時に、人間そのものへの関心、その関心の集約的な手段としての言葉を失って行く過程でもあった。密林のただなかにあるとき、私はあきらかに人間をまきぞえにした自然のなかにあった。作業現場への朝夕の行きかえり、私たちの行手に声もなく立ちふさがる樹木の群に、私はしばしば羨望の念をおぼえた。彼らは、忘れ去り、忘れ去られる自我なぞには、およそかかわりなく生きてきた。私が羨望したのは、まさにそのためであり、彼らが<自由である>ことのためでは毫もない。私がそのような心境に達したとき、望郷の想いはおのずと脱落した。」(「望郷と海」)

おそらくは、ここで触れられているのは人間の<表現>の問題だと私は思う。だからこそ、<表現>の彼方に「暴力に対する確固たる主体の定立」を見る内村剛介よりも、石原吉郎の方がはるかに遠くまで来てしまっていると私は考える。

ここ数年間に、私達は<表現>を抱き続けながら、<人間>のはるか彼方にむかって流されてしまったと私は感じている。無論、最初の作業は、<表現>を規定している状況そのものの分析と追及であった。そこではまだ<表現>は状況に“規定”されていた。

だがある時から私達は外在的には多くの誤謬と短絡とを犯しながら、うずもれていく多くの声々にせかされるようにして、<表現>は自立できるか、人間の核として<表現>を“規定”できるかという問いかけを投げかけざるを得なくなったのだ。そして、そのとき<表現>と、その流通機構そして権力との鋭い対立はより一層明確になったと言ってよい。私達は模索していた。

私は石原吉郎の“ノート”と記された言葉の数々に激しくうたれたことがある。そこには名状し難い強靱な思考と、圧し潰されるようにあえいでいる息苦しい自我のアンビヴァレンツが存在していたし、何よりも私が対峙しているのはただ単なる<ノートの作者>としての石原吉郎であるという安心感があった。私はそこでも表現の流通機構のことを考えたはずであった。

(Ⅰ詩人論/『望郷と海』覚え書つづく・・・)

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