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墨岡通信

成城墨岡クリニック分院によるブログ形式の情報ページです。

2023年07月29日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-204

そして、彼は次のように結論づけているのである。

「システムを変革する方法についての我々の理解はまだ始ったばかりである。しかし、Open Systemが雇用者と被雇用者、教師と生徒・精神科医と患者にとって自己実現の可能性を高めるという事を示唆するのに充分なモデルが既に産業や学校や病院の中に示されている。」

一見して明らかなように、ここにはイギリス知識人に独特な楽天主義が表れている。だが、それはそれで一笑に付すことができないのは、マックスウェル・ジョーンズの場合この背後に厳しい実践に裏うちされた信念と確固たる理論の構築があるからである。しかし、それよりも私が新しい状況論としての精神医学の一つの質としてシステム論に触れたのは次のような理由によるのである。

反精神医学の基本的な流れがそうであったように、私達の状況論はまず何よりも一人の個人の置かれた<状況>にどのように私自身がかかわっていくか、その<状況>をどのように“治療”していくかという問題の設問から始ったのだった。そのとき、私達の脳裏にあったのは、或る個人の<状況>を変革することによって、私達がかかえもつ精神医療総体としての<状況>に対処し得るだけの実践・運動の方向性とそれを支える理論とが導き出されるのではないかということであった。或る個人にかかわることによって、一点突破を計ったと言ってよいだろう。

当時、私達のなかにどうしようもなく精神分析学の最近の流れに対する共感が芽生えていたのも同じ理由からだと言ってよい。

しかし、現実にはこうした運動はついに実を結ばなかった。個人の<状況>に深く深くかかわっていた精神科医達は、巨大な産業構造の谷間に存在する、権力構造としての精神病院の奥深くに閉じこめられたかっこうで細々と実践し続けるか、或いは完全にその精神病院からも排除されてしまったのである。

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

2023年07月04日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-203

このマックスウェル・ジョーンズも一九七四年には、治療共同体理論を一歩前進させた精神医学のシステム論ともいうべきSystem Theoryを投げかけてきた。

一九五七年にミルトン・グリーンブラットが社会システムの中の精神科医(Social System Clinician)のモデルを唱えているが、マックスウェル・ジョーンズのシステム理論もその延長にある。すなわち、個人(患者)だけを治療するのではなく、その個人(患者)が組み込まれている社会的状況(Social System)を治していく精神科医のあり方の提示である。

マックスウェル・ジョーンズはこのシステム理論を彼自身が実践している治療共同体のなかにあてはめて、開かれたシステム(Open System)という未来像を語ろうとする。

Open Systemとは、外からの影響に対して開かれているのみならず、内に対しても開かれているような、即ち、様々な矛盾や問題を各メンバーが責任を持って効果的に解決する事が出来、それを学び続ける事が出来るようなシステムである。

マックスウェル・ジョーンズは述べている。

「社会的システムは『閉ざされたもの』から『開かれたもの』までの範囲で存在している。実際には誰もが比較的閉ざされたシステム(学校、家庭、大学、産業構造、等)の中で育つ。そのようなシステムを開く方向で変える事は必然的に不安と抵抗をひき起す。

精神医学が所謂治療と呼ばれるものを越えて、その機能を拡大し社会的諸問題の中に入り込んでいくならば、そこには新しい技術と新しい見通しが要求される。」

「薬物依存(中毒)を“治療”することはその基底に流れている社会的問題を回避してしまうことである。人種問題を客観的なオブザーバーとして語る事は無気力(impotence)を体験することである。」

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

2023年05月22日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-202

反精神医学を最初の試金石としたラディカル・サイカイアトリー(ラディカルな精神医学)はまだはじまったばかりなのである。と同時に、既にはじまってしまった精神医学上のこうした方法の所産はもうどうしようもなく既存の精神医学を変質させはじめているのである。もう、あとにはもどれないほどに。

しかし、この事実は考えてみれば当然のことなのであって、誰が見ても本質的な論理の矛盾によって組み立てられていた既存の精神医学が崩壊してゆくのは時間の問題でもあった訳である。だから、反精神医学を含むラディカルな精神医学を目指す運動を、単なる一派としてかたづけようとする権威的モデルはいずれも失敗しているのである。

そして今日、精神医学を状況論としてとらえようとする流れはいくつかの方向性を具体的に提示しうるところにまで至っている。

「病になるということは症状の出現を意味している。過去の精神科医たちは、症状に気をとられ、疾患単位として症状をまとめたり分類しようと熱中した。しかし、今では、病になるということ、つまり患者としてふるまうことは、社会的な援助がなくしかも一人で生活することのできない個人がとる最後の手段と考えられるようになった。」

かつてこのように述べてイギリスにおける地域精神医療の原形を作りあげたマックスウェル・ジョーンズが、精神医学概念のなかに治療共同体(Therapeutic Communities)理論を導入したのは一九五二年であった。彼はそのなかで、中心概念として共同体による自己決定の方法を確立させたのであった。このマックスウェル・ジョーンズもその後のラディカルな精神医学の流れのなかで、彼の実践はその階級性(真に抑圧されている患者が位置づけされる対精神病院、対社会的な内実としての階級性)への認識が欠如しているということを理由に激しく批判されたのだった。

にもかかわらず、私達は彼の果してきた役割とたえまのない実践を過小評価してはならないだろう。マックスウェル・ジョーンズの基本的な認識が私達のそれとどんなにかけ離れたものであろうと、状況変革の試論には相違なかったはずである。

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

2023年04月27日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-201

こうして、精神病院がその立地条件のもとにすんなりと機能しているとき、そこに一体どのような医療状況がうまれてくるというのだろうか。

交通不便な山の中に精神病院を作らせ、障害者を隔離しておきながら医療として語る社会復帰云々も何もない。このとき例えば、交通不便な場所にしか精神病院は作れなかったはずだというのはとんでもない論法なのであって、それは各々の条件下でどこにあっても苦しい状況に追いこまれている精神病院変革の運動が既に身をもって明らかにしていることである。

精神医学を、真に狂人と共にあるものとして把握するための一つの方法として、私達は状況のなかの精神医学の措定を希求してきた。このとき、私達の最初の共感は当時全世界的に吹きあれていた精神医学概念への挑戦、すなわち反精神医学運動に注がれたのだった。R・D・レイン、D・クーパー、T・サス、などといったそれぞれ細部の論点ではかならずしも一致しない人物達の鋭く激しい主張は私達の精神科医としてのアイデンティティを確実にゆるがしたのであった。

しかし、あれほど激しく吹き荒れた反精神医学運動も一九七五年頃から下火になっていった。原因はいくつかあげられるだろう。各々の理論がその実践を通して鋭くためされることによって、反精神医学を主張する一人一人の基本的認識が遂に離反していってしまったこと、状況の変革を主張しながら、あまりにも巨大な権力構造の前にたたきつぶされてしまったこと、変革をラディカルにラディカルにと突きあげていった人々が、遂に抑圧をされる側の狂人と大衆の支持をも見失ってしまったこと………………。

しかし、こうした反精神医学の変遷は決して絶望的な状況を描き出している訳ではない。R・D・レインがますます抽象化された意識の深奥に下降して行き、D・クーパーがそれとは正反対に自己を中心として至るところでの反権力的な組織作りを目指していこうとするとき、私達に提供してくれる多くの理論的・実践的認識の所産は過去に根ざしているのではなく人間の豊かな未来を指向しているのだから。

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

2023年01月07日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-200

状況のなかの精神医学

現在、私達が日常生活の諸層のなかで、人間の狂気について語り、狂人(ありえね)について触れ、この狂気をとりまく最も蓋然的な方法論としての精神医学に関与するとき、それはまさに人間の精神障害を現代日本の医療的、経済的、政治的、法的状況として把握すること以外のなにものでもない。

狂人(ありえね)とは、まさしく古典的に疎外(ありえね)以外のなにものでもない、と言い切ることとは別に、現在もなお進行中の現実的収奪の構造としての医療状況に私達は目をむけなければならないのである。だから、ここでは精神医学そのものも状況論としてしか定位できない。

かつて、はなばなしく狂気の復権が唱えられ、<症状>としての狂気が人間の深奥を照すものとしてもてはやされた。それはそれで事実なのだろうが、私達はこうした文学的レベルのなかでは、遂に狂気さえも狂人からみごとに奪いとられてしまうという苦い構図を手にしただけであった。さらに、私達は一歩足を踏み込んで状況論として狂人を見つめ得る地平にまで達してしまったというべきかも知れない。(前章の「私的表現考」にその間の私的状況は詳述しておいた。)


人が精神病院(その80%以上が私立精神病院である。)に何らかの理由で足を踏み入れることがあったならば、まずその人は精神病院の立地をめぐってひとまわり歩いてみるとよい。精神病院の立地条件ほど、その精神病院の内部の構造を象徴しているものはない。それは、その精神病院の歴史をもの語り、その精神病院の質をもの語り、その精神病院の地域における機能をもの語っている。

そして、このことに関する認識がなければ私達はその精神病院の内部で行われている精神病者に対する<医療>について何事も触れることはできないのだ。

さらに、視野を広めて、何故このように精神病院が地域の一区域に偏在し、なおかつ乱立しているのだろうかと問い続けるとき、私達の認識は精神病院をめぐる経済学と治安管理を中心とした国家的規模での法的政策の問題とにまで直結してしまうのである。

(Ⅴ状況のなかの精神医学/状況のなかの精神医学 つづく…)

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