成城墨岡クリニック分院によるブログ形式の情報ページです。
2011年01月18日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-53-
こうした朔太郎の断章はほとんど彼の死の直前にまで綴られる。そうして、朔太郎が万感の想いを投じて書き記した「小泉八雲の家庭生活」は彼の死の前年の作であることを考えると、この詩人の孤独と自我の構造が、母からの自律、日本近代文学からの自律、そして彼の表現世界を外的に規定してしまうことになった時代の不可避的な流れからの自律という重苦しい重層の抑圧に対峙する激しい抵抗によってつらぬかれていたと考えることができるように思われる。
このような重層構造のなかで、朔太郎の詩人としての自我同一性は強固に形づくられ、それが逆に詩人の存在そのものを規定していってしまったのである。
私は、いま、A・グリーンの一つの言葉を想起している。
「『オイディプス王』を類まれな悲願とするならば、根本的に問われねばならないことは、あの悩ましく冷酷な疑念、そして知の陶酔がなぜ親殺しと近親相姦に解きがたく結びついているのかである。」(「オイディプス王・神話か真実か」)
朔太郎を想うとき、私がなげかける一つの場違いな(!)比喩である。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)
2011年01月08日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-52-
朔太郎の孤独は、まず第一に彼の生涯を通じて支配的であった母ケイの抑圧からの自律の契機として存在し、同時にそれは自分の表現を正統な位置に評価し得ないできた近代日本文学=自然主義リアリズムに対する抵抗によって存続した内的な現象であった。
朔太郎の第一詩集『月に吠える』の巻頭にあの、「地面の底の病気の顔」が置かれたことの意味を私はもう一度かみしめてみたいと思うのだ。「地面の底に顔があらはれ/さみしい病人の顔があらはれ。」という表現は、朔太郎の生の深層部=内的現象のある原初的な体験を暗示している。そして、それは母親と共生し母親のシステムのなかでしか生きられなかった少年フィリップがある日突然に水たまりのなかに自分の顔と空とを見出すことによって母親の子供ではなく自分自身であることの直観にうたれるという。D・クーパーの「家族の死」のなかの<症例・フィリップ>にも通じるものであるように私には思われるのである。
朔太郎のアフォリズムに欠落している思考と語句があるとすれば、それは、「母親以上に完全になることは出来ない」という一語であったように思うのだ。
女性に対して辛辣でいかにも挑発的なアフォリズムを書きながら、一方では、
「しとしとと降る雨の中を、かすかに匂つている菜種のやうで、げにやさしくも濃やかな情緒がそこにある。ああ婦人!婦人の側らに坐つてゐるとき、私の思惟は湿ひにぬれ、胸はなまめかしい香水の匂いにひたる。げに婦人は生活の窓にふる雨のやうなものだ。(「婦人と雨」)」(「新しき欲情」)
と表現した朔太郎の情感の二重構造こそ、朔太郎の孤独の意味を解く鍵である。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)
2010年12月24日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-51-
おびただしいアフォリズムのなかで、朔太郎は幾度となく同じ題材をくり返しながら、自己の詩人である所以を書き綴ってみせる。それは、まさしく詩人としての自我同一性を客観として開示する方法の形態であったはずである。
だから、朔太郎は、結婚・母性・恋愛について言及しながら、また家・父について触れながら、朔太郎の立場とスタイルは常に辛辣でさっそうとしたものであり得たのである。
「すべての親たちは、真にその子供を愛してゐる。けれどもけっして同情はしない。彼のずつと幼ない子供に対して
も。または年頃の息子や娘に対しても。」(「愛の一形式」『虚妄の正義』)
「男と女とが、互いに相手を箒とし、味噌漉として、乳母車とし、貯金箱とし、ミシン機械とし、日用の勝手道具と
考える時、もはや必要から別れがたく、夫婦の実の愛情が生ずるのである。―――愛!あまりに巧利的な愛! (愛――
あまりに巧利的な)」(『同前』)
「想像力の消耗からも、人はその家庭を愛するやうになつてくる。」(「家庭的になる」『同前』)
「すべての家庭人は、人生の半ばをあきらめている。」(「家庭人」『同前』)
こうした表現の背後にある朔太郎の実生活について想いをめぐらすのはそれほど意味があることではない。
しかし、近代日本の自然主義文学に対する強い反抗をモチーフとして、朔太郎のアフォリズムが生まれたとしても、このように書きつけた詩人の内的世界の絶望的な孤独と、その孤独をおぎなおうとする強固な自我機能をここに認めることができるのである。
朔太郎は、同じ『虚妄の正義』のなかで次のようにも語るのである。
「人が家の中に住んでいるのは、地上の悲しい風景である。」(「家」)
そして、「港にて」には次のような表現もある。
「父といふ観念は、今日に於て一つの天刑観念である。この問題は、人間の最初の過失(原罪)が、何故に刑罰されね
ばならなかったかといふ、基督教のイロニックな神恩思想に於て、なるべく慈悲深く解釈されねばならない。」(「父」)
ここに語られるものもまた、「独りぼっちの虚無感と寂寥感」である。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)
2010年12月16日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-50-
例えば、詩集『月に吠える』にみられる表現のスタイルをただ単に性的な感覚とか、生を病む姿だととらえるよりも、私はその中に朔太郎が意識せずして感じとっていた母親の抑圧からの独立を企図する激しい息づかいを感じるのである。
D・クーパーが述べたように、内的な家族(Internal Family)の抑圧から、母親の子供ではなく自分自身であることのイメージをみすえるためには、自分自身を<無>のなかになげいれていく行為が必要である。『月に吠える』が対象のない不気味な恐怖を唄えば唄うほど、朔太郎の表現行為は<無>の領域に近づいていくのである。
しかし、現実には朔太郎の生涯にわたる自我構造をきわめて規範的なものとして決定してしまったのもこの母親であったと言ってよい。朔太郎は、ただ単に溺愛されて育ったのではない、彼は本質的に「どのように生きるか」を母親から示されたことは一度もなかったのである。
吉本隆明は述べている。
「三十づらをしながら、母に寄食している生活上の無能者であり、不和な結婚者として家庭失格者であり、だれも仕事とも文学ともみとめてくれない詩人であるというようなさまざまな根がからみあったろうが、朔太郎の性的な感覚の特質が、思想的な意味をもとめて流れはじめたとき、たたかわずして挫折した生活のかげが、朔太郎のこころを占めるにいたった。」(「朔太郎の世界」)
詩集『月に吠える』から、『青猫』を経て『郷土望景詩』へ、そして『氷島』に至る朔太郎の詩的<完成>と、朔太郎自身が名付けた断章、「新散文詩」が「概念叙情詩」、「情調哲学」という呼称を経て、「断章」、「詩文風なる」へ、そして「アフォリズム」、「箴言」へと概念を変化させていく過程とは決して異質のものではない。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)
2010年12月05日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-49-
「父の歩き方は、ふわふわと身体が宙に浮くような早足で、あやつり人形のようなぎごちなさだった。今にもころびそうで危ぶなかしくて見ていられないのである。祖母は夕方になると、『朔太郎がつまづくと危いから』といって、父の帰り道にころがっている大きな石ころをどけに行くことがよくあった。」(萩原葉子「折にふれての思い出」)
「……せかせかと足早に家に上ってくると、すぐに玄関にゆき着物とは似つかない汚れたソフトを頭に無造作にのせてでかけようとした。が、祖母が素早く見つけて、『今日はたしかに日を間違えないだろうね?天気予報じゃ今夜は雨だそうだから傘をもっておゆき』と父に新しい洋傘を持たせようとするのであった。傘は嫌いで必ずといっていいほど帰りまでに失くしてしまい、そのたびに祖母に叱言をいわれるので、『やめてくれ』というが、祖母はむりやりに父に押しつけて持たしてしまうのだった。
『買ったばかりだから電車や飲み屋に置いて来ては困るよ、それから幾度もいうけど着物は気をつけて汚ごさないようにおしよ』など、もう行ってしまった父の後姿にいい続けた。」(同前)
朔太郎自身がアフォリズムの中できわめて皮肉に、そして客観的に述べているような、<父>の存在とか、<結婚>とか<家庭>などというものは彼自身が目指した思想的表現のための辛辣な布石にすぎないのであって、現実には家族はいかなる形態においても単なる抽象物となり得ないのである。人は、まず家族体験のなかで孤独であることと他人と共にあることとの<弁証法>を認識するのであり、母子関係の持つ必要以上の共生から抜け出す孤独の場として家族の同一性は準備されていなければならない。
ところが、朔太郎の幼児期は、養育を一手にまかされた母ケイの溺愛によってつらぬかれたのであり、この傾向は生涯かわることがなかったのである。四十をすぎた朔太郎に対して、まるで幼児に対するごとくに注意をはらう母の姿は特徴的である。こうした母子関係から朔太郎は執拗に自分自身を岐立させようとする。朔太郎が、何回もくり返し子供の頃の夢について述べたり、無意識的な習性について語るのは母親の抑圧から自分自身をとき放つ意味も含まれていたにちがいない。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)