成城墨岡クリニック分院によるブログ形式の情報ページです。
2021年02月18日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-181
一九六五年のキングスレイ・ホールの宿泊施設は、医師も、看護婦もいない共同体としての精神病院であった。精神分裂病を精神医学と状況とによって規定されたものとして、とりわけ家族の文脈の内で形づくられたものと解釈した反精神医学は、理念としても、運動としても、まだ挫折してはいない。分裂病患者を正常人の文脈のなかでとらえる、また逆に正常人を分裂病者の文脈のなかでとらえるという対人関係論の仮説は、家族関係の文脈の中での二重拘束理論とともにはかり知れぬ影響力を持ち得ているのである。
「人は内側にいる」
レインは厳しく断言する。
かつて吉本隆明は『心的現象論序説』のなかで次のように述べた。
わたしたちは、純粋疎外の心的領域を想定することによって、分裂病概念の内側にややふみこむことができたはずである。現在の段階で、わたしたちが謙虚さを失わずにいいうることはたったこれだけであり、また幾重にも息苦しい壁が立ち塞がっているのを感じる。
『心的現象論序説』が私たちに与えた衝撃の強さは決して無視しえないものであった。だがそれにもかかわらず、一つの作業として私はこの労作に対して批判的である。吉本隆明の思想的営為のなかでこの『心的現象論序説』が持ち得る位置の決定的な深刻さを思うとき、私には決して軽々しく論ずることはできないが、私は吉本隆明が用いた方法論=認識論に対して強い不満を持っている。
(Ⅴ状況のなかの精神医学/詩と反精神医学と つづく…)
2021年01月04日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-180
例えば、私はいま一人の人間としてR・D・レインのことを考えている。
正確にいえば、一九六九年に“The politics of The Family and Their Eyes”を出版してから、一九七〇年に“Knots”と題する詩集を書きあげるに至る、レインの内的あるいは状況的な経緯が私を強くひきつけてはなさない。
R・D・レインはいうまでもなく、D・G・クーパー等とともに反精神医学の旗手であった訳だが、現在まで、きわめて一面的な解説しか日本では一般化されていない。雑誌『現代思想』の“マルク-ゼ・ラカン・レイン特集号”でもレインの視点は完全に逆転されてしまっている。
反精神医学運動の支柱として『ひき裂かれた自己』、『狂気と家族』等の著作からはじまったレインの仮説は、日本の精神医学界をも確実にゆるがせたのだが、レインの生き方のまさに開かれたあり方として、まだその豊かな成果は、まさに「死んだ馬」ではあり得ないでいる。
『ひき裂かれた自己』はいまだ旧来の意味での精神現象学の範疇を越えず、レインそのものの感性に支えられた解釈学の試みにすぎなかったのだが、“The politics of experience and The bird of paradice”以後、レインの思考は私たちにおびただしい埋もれていく側の声の発掘を、とかりたてる心的な力学をよび覚したはずである。
レインが、「状況のなかの現象学的精神医学」と語るとき、その「状況」というのは単に精神医学という学問のなかの「状況」ではないように、「現象学」というものも、学問のなかの「現象学」ではあり得ない。後に、「政治学」という表題が多用されるように、それは人間の内部意識における権力関係の鳥瞰図であった。
内側から外側への
死から生への
後から前への
不死性から死の可能性への
自己から新しい自我への
宇宙的胎児状態から実在的再生への航海
と書き連ねたレインの息苦しいまでのやさしさが私をとらえてはなさない。
(Ⅴ状況のなかの精神医学/詩と反精神医学と つづく…)
2020年12月01日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-179
Ⅴ 状況のなかの精神医学
私が日常的にかかわっている精神医療は、現在、大きな変革期にある。その大きな変革の嵐を呼びおこしている精神医学における状況論の措定ということを主題として私はいくつかの論考を書いてきた。ここでは、そのなかでも表現の問題に関連してR・D・レインについて触れた文章を載せた。「状況のなかの精神医学」はこれらの問題の位置づけのために書き下したものである。そしてこれは同時に私自身の行為と思想の定立でもある。
詩と反精神医学と
――あるR・D・レイン論の試み
人間の表現行為をその源泉にまでさかのぼって考えるとき、一個人の状況との関わりあいのなかで主観的・客観的な抑圧の構造がどのような力動を持つものであるかを問うことは必要なことである。
いま、表現の流通機構の再構築という課題が私をとらえてはなさないでいるが、それはどのような意味においても抑圧の主体の側に至ることのできない一つの関係を、明らかに未完のままとり出すための見果てぬ夢である。
「支配というのは、挙示しうる一群の人びとを特定の(またはすべての)命令に服従させるチャンスのことである、と定義風にいっておく。それだから、『勢力』や『影響力』を他の人びとにおよぼすチャンスであれば、どのような種類のものでも支配であるということにはならない。こうした意味での支配(権威)は、個々のばあいには千差万別な服従の動機にもとづくことがありうる。つまり、この動機は、無反省なしきたりからはじまって、純粋に目的合理的な打算にまでわたっている。一定最小限の服従意欲、したがって、服従への(外的または内的な)利害関心こそは、あらゆる真正の支配関係のめやすなのである。」(M・ウェーバー「権力と支配」)
ウェーバーの言葉はあらゆる意味で古典的である。にもかかわらず、私たちがここで確認しなければならないことがある。現在、いかなる権力的な人間の諸関係にも自分は加担しないという、激しく、しかもつつましやかな魂のひらきなおりが必要である。
(Ⅴ状況のなかの精神医学/詩と反精神医学と つづく…)
2020年10月08日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-178
弟さんも、奥さんも口が重かった。外泊などについても協力は約束してくれたが、この狭い住宅の一体どこにN・Hさんが泊れるだけのスペースがあるのだろうか。
帰途、私達の足どりは決して軽いものではなかった。
弟さんを責めることはできないことはよくわかっていた。この東京の空の下でN・Hさんが生活できる場所は、15年以上強制入院されていた私達の精神病院にしか現在のところあり得ないことも事実だろう。だが、このままでいたら、ますますN・Hさんの生きていくことが出来る場所はなくなってしまう。そして、精神病院は巨大な養老院と化してしまうのである。それが、日本の私立精神病院のまぎれもない明日の姿なのである。
私達の頭上には高速道路が建ち、高層ビルの谷間をK駅まで区画整理された道路は続く、それはかつての日本の高度経済成長の下で、完全に忘れさられ、葬り去られたN・Hさんのこの15年間のまぎれもない象徴なのである。
9月1日。N。Hさんは措置解除となり、生活保護による同意入院(保護義務者の同意による入院)に変更となる。
弟さんの面会も月に一回位は可能となった。しかし、N・Hさんのかかえている状況はまだほとんど変化していないのだ。
私が受け持っている慢性の開放病棟には、現在74名の患者がいる。衛生法の措置入院はまだ25名もいるのだし、ほとんどの患者が、10年以上も入院させられている人達なのだ。
一体、私が精神科の医師としてこの人達にしてやられること、そして医療行為とは何なのだろうか。
(Ⅳ私的表現考/世界の病むこと 完)
2020年09月15日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-177
勝手口にまわされた私達は、しかしそこでずいぶん長い間立ったままで待たされねばならなかった。仕事場以外には台所をのぞくと一間しかないその住いは、娘一人をかかえた弟さん夫婦にとっても明らかに狭かった。
手をのばせばとどきそうな距離のところでいそがしそうに働いているその弟さんは、しかし私達を30分ほども無視し続けた。
明らかに、私達は歓迎されざる訪問者であった。
その間、N・Hさんは弟さんにしきりに声をかけ、そんなに仕事などやめにして私達と話をしてくれとたのむのだった。
そのうちに、買物に出かけていたらしい弟さんの奥さんがもどってきて、私達を形通りに応待した。奥さんの口も重かった。
やがて、弟さんも渋々と重い腰をあげて、私達のところにやってきた。
ケースワーカーの調書から。
弟宅着、3時15分頃。4時30分帰。病院着5時50分。
弟の仕事の関係でゴタゴタしているところへ着き、30分~40分近く待たされることになったが、弟嫁と共に精神衛生法の解除の話にものってもらえ、何とか変更については可能である。又、外出、外泊についても出来る限り考慮される見込有り。都営住宅、店舗併用住宅2DK?に居住し、昨年1月5日人身事故を起し3ヶ月入院后死亡、その后手形割引のサギにあい赤字の対策に今年度は頭をいためている、と。仕事はまずまずあるので、という。近く費目変更、面会に来院予定と。
(Ⅳ私的表現考/世界の病むこと つづく…)