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墨岡通信

成城墨岡クリニックによるブログ形式の情報ページです。

2012年07月23日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-81-

 朔太郎の詩の意識的な技法も、アフォリズムや評論における思想や、朔太郎の感覚を切り裂く精神病理方法も、すべてを同時に撃つ表現論の方法が存在しなければ、朔太郎という巨大な抑圧を我がものとして固持している人間を私達のものとして理解することはできないだろう。
 朔太郎は決して、「魂の家郷をもたない詩人」であったのではない。「漂泊者」にしても、そのような実感的感情を描写したものではないはずである。
 私がくり返しのべてきたように、朔太郎という人間はあまりにはやく、自己の生存の基盤を、まさしくいうところの「魂の家郷」を完成してしまい、この完成にその后の自己の生を呪縛させてしまったのだ。
 朔太郎が、遠く遠く<近代>へなげかけた見果てぬ夢は、そのまま自分自身を呪縛してしまったこのようなスティグマの構造へとなげかけられたなまなましい内部の声であったのだと考えてもいいだろう。
 そして、この結果として、現実=状況的に朔太郎が<近代>によって大きく引き裂かれてしまったように、呪縛の構造は朔太郎の内部を確実に二方向に引き裂いたのであった。すなわち一方では自己の生存の基盤をかけたすべてのよりどころとしての<詩人>と、もう一方ではこの<詩人>を超越し、より人間的な思想者あるいは表現者として存続しようとする意志との永続的な分類とが朔太郎にはそなわっていたのである。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2012年06月28日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-80-

 詩集『青猫』の憂ウツ――存在の根拠を喪失した憂ウツ――に比較しても、朔太郎が行きついた地点、詩集『氷島』の世界は朔太郎自身にとっても、またその作品に接する私達にとっても底知れぬほど痛ましいものである。
 「断崖に沿ふて、陸橋の下を歩み行く人。そは我が遠い姿。寂しき漂泊者の影なり。巻頭に揚げて序詩となす。」と書かれた「漂泊者」の姿は、一体何者の表象だったのだろう。そして、その時点で朔太郎が日常生活のそれぞれの場面で鋭くかぎわけて知覚していたものは、何の影であったのだろう。

   ああ汝 漂泊者!
   過去より来りて未来を過ぎ
   久遠の郷愁を追ひ行くもの。
   いかなれば蹌爾として
   時計の如くに憂ひ歩むぞ。
   石もて蛇を殺すごとく
   一つの輪廻を断絶して
   意志なき寂寥を踏み切れかし。
   ああ 悪魔よりも孤独にして
   汝は氷霜の冬に耐えたるかな!


 ここには、ただ単に作品上の完成を越えた魂の状態が映し出されているように私には思えるのだ。詩集『氷島』は、作品論として論じられる前に、なによりもこれらの作品の背後を流れる朔太郎の内的世界の現象についてどうしても触れられなければならないのである。これらの詩篇は、また、こうした内的世界の現象を敏感にかぎとってきた読者によって評価され愛されてきたはずであった。
 私達が朔太郎の表現とむかいあうとき、朔太郎自身の自我構造と状況とのかかわりあいという認識のうえにたって、思想的にも技法的にも一方的に裁断されるのではない。一つの方法をいまや私達は切実に要求されているのである。
 近代詩の展開のなかでは、朔太郎がこのような方法論を必要とした最初の詩人であったと言うことができるだろう。同時に、それは、私達の世代の内的な強い要請なのだということも、はっきりと認識しておかなければならないだろう。
 (Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2012年06月02日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-79-

 かつて、イギリスの精神科医でスティグマの構造論の古典的開拓者であったマクスウェル・ジョーンズは次のように規定した。
 「病になるということは症状の出現を意味している。過去の精神科医たちは、症状に気をとられ、疾患単位として症状をまとめたり分類しようと熱中した。しかし、今では、病になるということ、つまり患者としてふるまうことは、社会的な援助がなくしかも一人で生活することのできない個人がとる最後の手段と考えられるようになった。」(Social psychiasry in practice)
 言うまでもなく、「一人で生活することのできない個人」という表現は心理学的な比喩である。朔太郎の自我の分析から導き出される、<詩人>への同一化というのっぴきならない状況も、最終的には「一人で生活することのできない」生き方の展開であったと考えることができる。
 かつて、私は朔太郎の詩のなかで『月に吠える』から『氷島』まで、読者を極端に引き裂いて、各々の詩集に親和性を持つ個人が独立して存在することに触れ、そのなかで詩集『氷島』に親和性を持つものは、著しく内的な世界の構造にかかわる視点を持つ傾向があることを述べておいた。
 このような現象は、やはり詩的表現においては単純に作品論による批評だけでは不充分であることを示唆しているのではないだろうか。また、同時に朔太郎詩の今日的意味も、やはり単なる作品の定着にとどまるものではないということを示していると考えることができるのである。

(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2012年05月17日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-78-

 ここに特徴的なのは、詩が実生活の正直な反映であるのか、あるいはまた実生活が朔太郎の詩のために、<詩人>のためにあるのか判定し難い一連の状況であるだろう。否、「ためにある」という表現は正しくない。朔太郎はこのような状況を自らに負わせなければ生きられなかった人であったというべきだろう。これは、断じて、「運命」とか「人生」の問題ではない。朔太郎の内的世界をたどることによって理解することができる人間の一つのの生き方の問題であり、このようにしてはじめて全人間的に把握することができる意識の深淵なのである。
 私達は、朔太郎の実生活を単に詩集『氷島』の作品素材として考えることはできないと感じている。このようにして、『氷島』の作品群は曲解され、誤解され続けてきたのだと思うと、いまさらながら、表現をめぐる「主観と客観」の問題の重大さを認識せずにはいられない。表現論のうえからは、ただ単に作品だけが存在するのでも、作者の生活だけが独立して存在するのでもない。私達はそれら表現にかかわるものを総体として認識する方法論を手にいれなければならないのだ。
 私が、朔太郎の表現行為のなかに、このような方法論の一つの試行であるところのスティグマの構造を見出すのは、私自身のそういった内的な要請にも基いているのである。朔太郎における、神経症的症状、あるいは分裂気質などといったものは、精神病理学的に裁断されてみても、そこからは何も生まれないだろう。と同時に、それを、まさに朔太郎にとっての結果であるところの<近代>の崩壊の予感としてとらえることもそれほど意味のあることではないと思われる。
(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

2012年04月29日

カテゴリー:院長より

見果てぬ夢の地平を透視するものへ-77-

 そして、この構造の進行は、朔太郎の詩的表現の変遷にも微妙に影響を与えているのだ。くり返してのべるように、詩集『氷島』の作品群はこの変遷の終着点からの表現である。そして、朔太郎の内的世界の基本的な構造もこの時点で定まってしまうのである。それ以后の朔太郎の営為は、著しい悪循環に満たされるだけだったと言っていいだろう。朔太郎が夢みた<近代>も所詮は、このような内的な構造に投じた最終的な抵抗であったような気がしてならない。だから、朔太郎にとっての<近代>は苛酷な言い方をすれば、はじめから思想的な根拠を欠いた不毛な希求であったと考えられるのだ。
 「乃木坂倶楽部」は次のようにうたわれる。

    十二月また来れり。
    なんぞこの冬の寒さや。
    去年はアパートの五階に住み
    荒漠たる洋室の中
    壁に寝台を寄せてさびしく眠れり。
    わが思惟するものは何ぞや
    すでに人生の虚妄に疲れて
    今も尚家畜の如くに飢えたるかな。
    我れは何物をも喪失せず
    また一切を失い盡くせり
    いかなれば追はるる如く
    歳暮の忙しき街を憂ひ迷ひて
    晝もなほ酒場の椅子に酔はむとするぞ。
    虚空を朔け行く鳥の如く
    情緒もまた久しき過去に消え去るべし。
 
 詩の背後にある実生活の荒廃についても、朔太郎はその「詩篇小解」に詳しく表現している。

(Ⅰ詩人論/朔太郎の内的世界つづく…)

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