成城墨岡クリニックによるブログ形式の情報ページです。
2009年04月03日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-27-
山本太郎が『死法』の語句を詩集に与えた意味もまた明らかであるだろう。そして、なおかつ追加すれば、作品中、『死法』は最も充実した(厳しい)位相に存在し、豊かな示唆をたくわえている。私達がいかにしてこの地平を切り崩すか、それが残されているはずだが、私の心は暗い。
言葉よ しばらくは黙せよ
俺は冒頭の一行を
いっきょに消去し
一ヶの聴道 一管の楽器にかわる
俺を静かにならしはじめるのは風
俺の沈黙が受胎する
わずかに 殺されるものの声だ
もはや<生きる>という措辞はいらぬ
<けれど>を消すとき俺は
ほぼ野放図もなく展開し
死の意図を超えるために
死者達の声を受容しはじめる (「死法」)
(Ⅰ詩人論/山本太郎論終わり)
2009年03月28日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-26-
一体化すべき規範を提供しない現代に対抗して防衛的にうちこむクサビとなり得るという精神医学上の一つの仮説を持ち出すまでもなく、山本太郎の詩句は、こうした意味での激しい告白である。
さらに私の注意をひくのは、笠原嘉壽が、今日の大学生の神経症治療の経験から、次の時代には<抑うつ>にかわって<アパシー>(無感動)が代表的な神経症になると予想している点であって、その予想を私達の表現で打ち破るために(自分の表現が生きのこるために!)私達はメランコリーの中でなおかつ語り続けなければならないのだ。
ルネ・シャールは美しく語ったはずだ。
例えば、メランコリー型性格というものがすでに現代生活の困難に対する一つの性格防衛として激増している事実があり、メランコリーは
「この世に生れて何一つ混乱を起こさぬものは、尊敬にも忍耐にも値しない。」
世界の関係の内部に正確に敵をよみすえながら、なおかつ自己を破壊することによってこの機構に波立たせようとする生きかたのことを私は常に忘れないでいようと思う。
例えばここで山本太郎が言葉を失っていくことは、山本太郎自身を外面的にしろ内面的にしろ、だめにしていくことにつながるだろうとさえ思いながら、そしてそのことに気付きながらも、このようにしか状況にかかわっていかれない詩人の生きかたは、それ自体既にすさまじい力動であり表現でなくてなんであろうと私には受けとめられるのだ。
いま、おそらく山本太郎は一つの変曲点に立っていると私は思う。何かがまちがっていると書くことは簡単である。山本太郎を論じることも、状況を論じることも、誤解を恐れずに言えば学問そのものも、それほど困難なことではないだろう。だが、困難に生きるということは、それだけで激しい表現である。
(Ⅰ詩人論/山本太郎論つづく・・・)
2009年03月24日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-25-
例えば吉本隆明があの苦渋に満ちた労作『言語にとって美とはなにか』を、人々の理解から遠く隔ったところでまったく黙々と書き続けながら、その間沈黙の言葉で「勝利だよ、勝利だよ」とつぶやき続けていたということと同じ地平で山本太郎は「僕はかろうじて心の卑怯だけはまぬがれてきた」と自問しているように私には思われるのだ。
山本太郎の詩が急速に言葉を失っていく過程があると私は書いた。だがそれは同時に、山本太郎の表現の切っ先が横切っている、突き刺している巨大な暗黒な空間がはっきりと屹立しているということなのだ。吉本隆明はその後一層困難な作業に自己を追いやりながら『心的現象論序説』にまで至ってしまった訳だが、山本太郎の表現の彼方には一体何があるだろうか。
異口異音の「ひろば」の活気を
殺すものは外部にばかりいるのではない
車座からたちあがり君が
星空の下へ離れていっても
背中で語る卑怯な時 などと俺は思わぬ
俺達はただ怒りの重心が
深まったことを知るのだ (「広場」)
あらゆる場所を、私達は断じてかんたんに通りすぎてはならないはずである。かんたんに生きてはならないはずである。権力とか支配とか、被害とか差別とか、たとえ言葉そのものがいかに非日常的にみえようとも困難に生きるものの暗闇に対して、個人のあらゆる行為と思考との無限責任は厳として存在しているのだ。
山本太郎の詩は人間に対するやさしさに満ちている。それは山本太郎が求めてやまぬ人間関係の地平への愛の唄である。
君は問い俺が答え 俺が問い答え
中心の欠落こそが
車座の自律に変えるだろう
現代に於いては、むしろ人間関係というものは機構の問題として存在していて、単に人間個人対人間個人の関係のことではない。それは常に「職場での人間関係」であり、「家庭での人間関係」として述べられるのである。内閉的性格を持ったもの、あるいは一つの共同体の形成を望むものにとって、現代日本社会は極度に息苦しいものであるだろう。山本太郎の最近の詩は明らかにこうした予感を鋭い感性のなかに胚胎しているのである。
(Ⅰ詩人論/山本太郎論つづく・・・)
2009年03月22日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-24-
私は今、もう10年も前に大岡信が山本太郎について述べた言葉を思ってみる。
「それは、一見不思議に思えるかもしれないが、猛烈に内閉的な主観性の文学なのである。かれはこの内閉的な世界の中で、巨大なオランウータンあるいはゴリラに変貌しながら暗い原始の生命への尽きることない賛歌を唄いつづける。」
山本太郎の詩のすさまじい生命力のなかにどうしても消せずにある悲哀感についてこの言葉は真実であるだろうと私は思う。
しかしこの『死法』をとりまく言葉の息苦しさ、重苦しさは一体何故なのだろうか。
見附の空に夕焼はひろがり
秋風が破線を描いて頭上をすぎた
オレノソトニ敵ナドイナイ
その一行を噛みしめて
20数年生きてきた俺が
いまさらどう間違えて
こんなうそ寒い屋上に立っているのだ
遠くで学生達のシュプレヒコールがきこえる
たのしげに怒るものら
去れ
山本太郎の詩はいつからか実に脆くなりながら、その表現を支える豊かな内面世界の故に、逆に詩人を荒涼とした原野に抛り出してしまったように私には思える。
私はそこに、今日の詩の一つの原点をみる。原点としての詩人の生き方をみる。
状況から最も遠いところにいるものが最も状況的であるなどというのではなく、既に私達の生は状況によって踏絵にされているのだ。詩が裁かれているということは、人間が表現として持つ詩が、現代のなかで強靭な存在論を要求されていることだろう。
時代の様相というとき、私にはさまざまな個人の生きざま、死にざまが具体的に浮んでくる。否、それ以外に時代の様相などというものがあろうはずはないと私は思う。時代の困難さと私は言うけれども、それは現に困難に生きている人間がいるからである。
だからそれは、またひとつ忘れさられていく人間の表現の過去を横切って、旅に出るということではない。居残って、居直って苦しく暮らしていく者もいるのだということだと思う。
(Ⅰ詩人論/山本太郎論つづく・・・)
2009年03月18日
カテゴリー:院長より
見果てぬ夢の地平を透視するものへ-23-
詩集『ゴリラ』は昭和35年(1960年)の時代の寓意ではあり得ない。それは現在もなお進行中の内的な出来事の出発である。私も常に、いつの日も私以外の何ものでもないように生きている。状況はいくらでも変化する。時代は悪くなる。だが、それにもかかわらず、山本太郎はこのようにしか生きられない。それが、私達の大きな救いである。
私的『死法』考
「敵はきみたちを恐れている。きみたちはそのことを裏切ってはならない。」
と、ルネ・シャールは書きとどめた。
「敵を恐れるな――やつらは君を殺すのが関の山だ。
友を恐れるな――やつらは君を裏切るのが関の山だ。
無関心なひとびとを恐れよ――やつらは殺しも裏切りもしない。だが、やつらの沈黙という承認があればこそこの世に虐殺と裏切りが横行するのだ。」
と、石原吉郎はヤセンスキーの語句を自己のノートに記している。
だが、『死法』の中で山本太郎は書いている。
斃すものと斃される奴
とおまえはいうが
抒情的な怒りなど
信ずるに足りぬ
対立という観念は
ほんらい脆弱なものだ
おまえはいったい
だれにむかって敵なのか
まっすぐやってくるものとだけ
確実に出合うと
ほんきで信じているのか (「敵に関するエスキース」)
言語の階級性などという苦々しい措定をはっきりと突き破ってしまう詩人の生きざまについて想いをはせても、なおかつ山本太郎のこの屈折した表現の行き方は私をとらえてはなさない。
死を法則に変える将軍の習性と
敵だけがおまえの生を
証明するという
演劇的な思想も
ことのついでに拒否するがいい
………………
斃れるのがおまえであろうと
おまえの前に立つ一人の兵士であろうと
孤立無援の背中で
敵を背面に感じた二人が
怒りを
祖国や将軍に照準する勇気を
もちえなければ
死者よりも深い腐敗が
おまえに訪れるのだ
『死法』は、その表面の多産性にもかかわらず実に息苦しい詩集である。ここには、山本太郎という詩人が、目に見えぬ巨大な機構に対峙したまま次第に言葉を失っていく過程が壮大に記されているのだ。
(Ⅰ詩人論/山本太郎論つづく・・・)